ジミー・チュウ

POSTED BY DANNY CHOO On 火 2013/08/13 23:08 JST in ジャパン

父の志を継ぎ、高級ブランドの靴製作に乗り出す事を決定しました!ただし、単なる靴ではありません。詳細は記事の中で後程触れます。

この新ベンチャーに加え、カルチャージャパンの方は僕が引き続きMirai株式会社CEOとして今迄通り運営し続けます。

本記事ではどのような靴を作るのか、また、父のもとで働いた経験を活かして靴を製作するに至った経緯についてもお話しします。普段から僕の駄弁りに付き合っている人達は気付くかもしれませんが、過去記事からコピペした部分が幾つかあります ^^;

ところで、この記事のタイトルは「ジミー・チュウ」になっていますが、父親の正しい綴りは「ジミー・チュー」だ。どっかで、いつの間にかは「チュウ」はよく使われるようになったみたいです><

ご存知の通り、父は靴デザイナーのジミー・チューなので、勝手に僕が金持ち坊やだという印象を抱く人も少なくありません。僕を金持ちだと呼んでいる人は大抵親から何の躊躇も無くお金を受け取ったり、せびる事もあるかもしれませんが、世の中全ての人がそうやって生きている訳ではありません。

お金が無い事を言い訳にし、自分が置かれている退屈な状況を他人のせいにする人達が世の中に大勢いる事は残念でなりません。こういった人達は大概、自分で何かを成し遂げる力が無いと信じ込み、人生は全てお膳立てされて与えられるものだという思い込みを持っています。

僕は、両親からは両腕、両足とそれなりに健康的な体など、自分で稼ぐ上で必要な物は既に全部貰っています。喘息と脊髄ヘルニアを患ってはいますが、比較にならない程重い病気で苦しんでいる人達もいるので文句は言えませんね。

父に最も感謝している事は、僕が自分の手で成功を掴み、自分で稼ぐ道を与えてくれた事です。ただ単に受け身で生きる、植物のような人間に育っては欲しくないという願いがあったのだと思います。親から全て与えられながら育った人達の末路については金儲けがモチベにならない理由の記事で紹介しています。

閑話休題。最初の頃は、お小遣いが欲しくなった時にはパートとして父のお手伝いをしながらお金を稼ぐ必要がありました。

このビルはハックニーのドルストンにある「メトロポリタン」というスタジオに改造された元病院で、父親はここで事業を拡大しようとスタジオを借りました。僕はここで父に教育/指導されながら働いていました。

この写真は数年前、イギリスを訪れていた時に撮ったものです。
父の元で働いている間は靴のデザインと製造工程に関する全ての事を学びました。デザイン、パターンの切り出し、縫合やアッパーのラスティング作業も出来るようになりました。父は今は亡きダイアナ妃を含む彼の顧客達の靴を作る機会も与えてくれました。

また、ElleやVogueなどのファッション誌とも一緒に仕事をしていて、モデル撮影に使うサンプル品を提供し、様々なファッションショーにも参加しました。仕事自体は面白かったのですが、自分が人生でやりたいのはこれじゃないという事は感じていました。

日本語学習、アニメ、マンガ、ゲーム、日本人の友人達との交流を通し、僕は益々日本の文化に惹かれ、ジャパニーズドリームを掴みたいと強く思うようになりました。しかし、このバイトをやっている以上はジャパニーズドリームは掴めなかったので、父親のスタジオを後にしました。僕は母親と一緒に住んでいたので、この後、父とは数年間会いませんでした。

僕がどうやって日本語を習得して日本まで辿り着いたかについては日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由の記事で詳しく書いています。

靴製作自体は興味深く、身に付けたスキルは鞄、ウエストポーチやお財布などにも応用が効くものでした。

とはいえ、僕の情熱の対象はやはり日本。当時は日本に辿り着けるようなコネや手掛かりはありませんでしたが、日本語学習に専念しなければならないという事は理解していました。

父のスタジオを辞めた頃は収入源も途絶え、あまりよろしくない状況でした ^^;
そこで僕はリチャード・スタノウスキというタレント事務所と契約し、アジア系の出演者が必要な時に呼ばれ、テレビドラマやCM、ドキュメンタリーに出演しました。

特に印象深かった思い出は、Discovery Channelの花火に関するドキュメンタリー番組を田舎で収録していた際に、複葉機が低速低空飛行で出演者とカメラの前を横切った瞬間でした。透き通るような青い夜に映ったその光景に僕の背筋はゾクゾクし、この人生で何かを成し遂げたいという気持ちに掻き立てられました。

紅花という日本料理レストランでもアルバイトを始めました。仕事内容は包丁を投げ回して客を時折病院送りにする料理人ではなく、ホールを走り回るウェイターとして皿を運び、皿を洗い、時折皿を割ったりしていました ^^;

紅花を選んだのには幾つか理由があります。その一つは、紅花に沢山来る日本人のお客さん達と日本語で話す機会があったからです。
もう一つの理由は、日のいずる国へのチケットを買う為の資金を溜めたかったからです。日本に行って、出来る限り日本文化を吸収するのが目標でした。

初めて支給された給料は今でも覚えています。タフなスケジュールをこなしても、明細にはほんの数桁しか記載されていませんでしたが、始めから期待してはいけないのは分かっていました。日本へのチケット代と余分のお金を蓄えるのには一年も要しました。来日後はイギリスへ帰国し、翌年の日本旅行に向けて再び紅花で働き始めました。

日本へは後程、科学雑誌ネイチャーのウェブマーケティングのポジションに就く事で辿り着けました。
僕が日本へ辿り着いた方法日本での最初の数年間についてはそれぞれ別の記事で詳しく綴っています。

その間、父は事業をグローバルブランドになるまで発展させ、英国女王からは大英帝国勲章を、そしてマレーシア国王からはDatukの称号を授かりました。

一方、僕はアマゾンウェブサイトマネージャーとマイクロソフトプロダクトマネージャーを務め、IT分野でキャリアを築き上げて行きました。

そしてマイクロソフトを離れた後、 Mirai株式会社を立ち上げ、カルチャージャパンブランドとマスコットキャラの末永みらいを用いて、日本文化を世界と共有し、より身近な存在にする事に力を注いできました。

僕達のテレビ番組カルチャージャパンジャパンモードには世界中の視聴者がおり、2012年会計年度の総収入は約5000万円(約50万USD)となり、近いうちに倍増する見通しです。僕達の事業形態についてはこの記事で詳しく紹介しています。

2013年には経済産業省クリエイティブ産業国際展開懇談会 (CIIC)のメンバーに任命され、バンダイナムコゲームズ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ホリプロ、講談社、伊勢丹、三井不動産、TBS等の会社のトップの方々と省に集まり、日本のコンテンツをいかにして世界へ広められるかについて議論しています。

つい最近乗り出したロボット事業では、世界初となる3Dプリンタで出力されたインタラクティブなロボットドールの「スマートドール」を作りました。彼女は僕達のマスコットキャラクターである末永みらいに基づいてデザインされました。

一から3Dで造形/デザインされ、最新の3D出力技術を用いて出力した末永みらいスマートドール
日本産である当ロボットドールは、Facebook、Twitter、メール、カレンダーの通知機能を備え、時には日本語を教えたり、カーナビ代わりになったり、また、市場に出回っているスマート冷蔵庫と連携して食材の買い足し時も教えてくれたりと、日々の生活のお供として役立つようデザインされています。そして最大のポイントは何と言っても、ボッチな生活から脱却できる点です。
彼女の動く姿は動作テスト時に撮った下記動画で見れます。

末永みらいスマートドールは2014年、そしてスタンダードフレーム版は早くも2013年末頃のリリースを予定しています。
「あれはロボットの体にただドールの頭を付けているだけではないの」とよく聞かれていますが、ロボット部分は全てみらいちゃんの外皮の中に収まっています^^

父も日本のアニメドールを紹介したら大好評!やっぱりボークスさんのDDは世界一でかわいい!

外皮 (ソフビ製の肌)、フレーム、ロボット構造、AI(人工知能)、メイク、アイ、衣装等と、ドールの構成要素は全て僕がプロデュースしていて、今度は靴まで作ります!父のもとで働いていた時に身に付けた靴の製作スキルをまだ持っていたので、ドール用の靴製作に応用してみました。

ドールも人間と同じく、履物には結構気を遣っていて、単なる人間の履物を簡略化したものは欲していないのです。

割と可愛い感じに出来上がりました ^^; まだ試作段階なのでまだラフな感じです。

第一作目はみらいちゃんの夏制服に合うようなシンプルなデザインです。
アッパーと靴底の素材は本革で、人間サイズの靴と同様に、歩いた時に生じる負担にも耐えられるよう作り込まれています。

スマートドールは二足歩行が出来るように設計されてはいませんが、うちのヒューマンロボティックスエンジニアは「その挑戦、受けて立つ!」と意気込んでいました ^^;

第一弾目は日本の女子高生のローファーですが、今後この他にも様々なデザインを次々と打ち出し、末永みらいスマートドールにはこれらを世界中のファッションショーで履いてもらう予定です!

こちらの一番目のデザインは全てのスマートドールスタンダードモデルに付属し、イベントや今年立ち上げ予定のカルチャージャパンオンラインストアにて別売り販売もします。

足の形をした緑色の物体はラストと呼ばれていて、靴の製作の際に使われる型です。写真に写っているラストは手作りですが、大量生産に使われるラストはみらいちゃんの型と同様に、3Dで出力します。

人間サイズのラストはこんな感じ。底に付いている金属プレートはアッパー(靴の柔らかい上の部分)をインソールの底にラスティングする際に打ち込まれた釘を平にする為のものです。
ラストの底にある露出した緑色の丸いプラスチック部分は、靴職人がインソールを釘で打ち込む箇所です。

人間サイズのラストのついでに、父のロンドンスタジオ内の様子や靴製作に使われる様々な工具についても紹介しておきます!

ヒールには様々な形状やサイズがあります。中には補強用の鉄パイプが通っていて、これはトップピースが打ち込まれる穴でもあります。トップピースはヒールチップの事を示します。

これらが靴の基礎となるインソールです。インソールは上にアッパー、そして下にソールが付け加えられます。

ヒールはこの機械でインソールに取り付けます。中には大きめの釘が数本セットされていて、ヒールとインソールを所定の位置に置き、手動でレバーを下げながらインソールに釘を打ち込みます。

この機械はスティフナー(カカトの芯)を靴のカカトに付ける際に使われます。皆さんが履いている靴のカカト部分が硬いのも、構造を支えるスティフナーが埋め込まれているからです。

このポストベッドミシンはアッパーを縫う際に使われます。出っ張った部分はスティッチング作業(特にブーツ)を楽にさせる機能があります。

事業の基礎を築き上げていた頃の昔の父の姿。

これはバッカーと呼ばれていて、後程アッパーとなる素材の上にアイロンされています。
バッカーはロールから切り出され、素材や薄いレザーにアイロンされます。
素材はフォールディング工程で必要な余白が残るよう、バッカーより一回り大きく切り出されます。

通常はフォールディングテープがバッカーの周囲に置かれ、その上に一回り大きく切り取った素材の余白部分を折りたたみ、のせていきます。その後ライニングにこれを糊付けし、更にそれを縫い付けていく事でアッパー作成工程は完了します。

これもアッパーに使われるミシン。

アッパーに使われる丈夫なコットン。

これはレザー部分の端を削り取るScything Machineです。レザー素材はこの機械に掛ける事で、端を折り、スティッチングが出来るようになります。

様々な種類のレザー素材など - 殆どはイタリア産です。

日本で使うお財布を作り始めているところ ^^;

靴のデザイン工程はラストをマスキングテープで覆って、ミイラ状態にするところから始まります。

そして、マスキングテープ上にデザインを手書きで描いていきます。上の写真はブラックロックシューターのテーマの靴を作っていた際に撮ったものです。

これが完了したら、形を切り出し、テープをカードに貼付けてパターンを作っていきます。この工程はパターンカッティングと呼ばれています。

前回のブラックロックサンダルはあまり満足のいく出来ではなかったので、新たに作り直す事にしました。これがそのデザインです。

そしてこちらが試作品の完成版です!白いジッパー、星型や炎など、ブラックロックシューターの象徴となる要素を盛り込んでみました。

側面の「炎」は僕が実際使いたかった色の素材が無かった関係で若干微妙な感じに。
今回も急ぎで作った作品ですが、改善するとなれば透明なパースペックス素材を使って炎を作り、ブラックロックシューターの青い炎の再現度UPを試みます。

鎖も付けたかったのですが、多分次回の試作品までお預けですね。

実際に使えるジッパーです ^^;

当初は人間用の靴のブランドを立ち上げ、ブラックロックシューターなどのアニメ/マンガ/ゲームをテーマとしたライセンス品を出す予定でしたが、スマートドールプロジェクトの話が持ち上がってお蔵入りに ^^;

人間用の靴はドール用の靴の後にすぐ!

僕が今後出すドール用の靴は先程紹介した人間サイズの靴製作と全く同じ工程を経て作られますが、唯一の違いは釘が使われないという点です。

正直のところ、僕が父の志を継ぐとは思いもしませんでした。しかし、このように自作ドールを開発した以上、靴製作の経験を活かして自作のドール用の靴を作り出すのは当然な流れのようにも感じますね。

この写真は父と彼が育ったペナンマレーシアで一緒に撮った一枚です。僕も一時期はペナンで育った事もあり、今度はカルチャージャパンコンベンションに参加しに戻って来ました! 本イベントはペナングローバルツーリズムとの初の共同企画で、あと数日で開催されます ^^

チケットが無いという方は午前8:30にSQCCにお越し下さい!