「日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由」の記事では僕がどうやって来日したかを話しましたが、その後の詳細についてはあまり触れませんでした。なので今は1999年から2001年の出来事と僕がどうやってキャリアを築き始めたのかを紹介していきたいと思います。
この一枚目は日本に来て最初の年の冬に東伏見駅の外で妻とツーショット。
東京での初めてのお仕事は科学雑誌のネイチャーという会社だ。写真に写っているのは僕がここで初めて与えられた机で、小さく窮屈でパーティションすらなかった。とはいっても大学では学ぶ事ができなかったビジネス日本語が聞き取れて大変勉強になった。
僕の最初のドメインであったstudiodanny.comの唯一のスクリーンショット(ちなみにこのドメインはもう手放しました)。自分が言うのもなんだけど、このドメイン名のネーミングセンスにはちょっと引く ^^;
このサイトはDreamweaverでHTMLから自分で構築し、ウェブ技術を試す実験台としてよく使っていたものだ。より良いサイトを作りたかったのでグラフィックやコーディングスキルを徐々に上げていき、2000年にdannychoo.comのドメインを取得した。
勤務時間外でスキルを習得する事はキャリアを築き上げていくのには不可欠。独学で学んだこれらのスキルは僕のキャリアのステップアップにおいて必要不可欠だった。
ネイチャー社のオフィスが引越しをしていた頃、僕は次なる仕事を探すために転職活動を始めていた。そして多くのリクルーターと話していく内に自身の経験をスキルがどのくらいの市場価値があるかが分かるようになっていった。
自身がどれくらいのスキルを持っているのか、それらがどれくらいの市場価値があるのかを把握するのは転職活動において肝要だ。選択肢は常になるべく多くとっておき、仕事の機会や貴方の市場価値についてのアドバイスを与えてくれる業界人等と話し合う機会を持つ事も大切。
陳列棚に置いてある牛乳が高価なものかそうでないかが分かるのは消費者がその市場価値を把握しているからだ。
貴方の市場価値は幾らですか?
もし分からないのであれば今日知っておきましょう。明日からではダメです。
リクルーターと話せば一夜にして人脈を増やすことが出来る。リクルーターはググれば簡単に見つかるし、なんといっても相談料は無料。逆に相談をしないとキャリアが台無しになるよ。
リクルーターとの相談の感想は皆それぞれだが、面談後に出る言葉は大抵「よし、必要なスキルは全部揃った事だし次へステップアップするか」か「ヤバイ。俺、役立たずかも」に分かれるだろう。
僕も今迄沢山の面接官やリクルーターと話してきた。そして真夏の雨の日に傘を持たず面接に駆け込んでいた日は今でも忘れられない。
面接回数が増えれば増えるほど場慣れし、成功する確率も自ずと上がるのだ。
以前、マイクロソフト社の面接官からウェブ開発のプロセスはどうあるべきかという質問をされた事がある。アマゾンに入社した後から分かった事なのだが、ウェブデプロイメントにはプロダクション、開発サーバー、本番サーバー、QA、カタログ調整等の様々なプロセスが関わってくるものだ。だが当時の僕にはウェブサイトはFTPによってアップロードされるものだという事しか分からかった。面接後に思ったね。「ヤバイ。俺って役立たずかも」、と ^^;
でも、この頃にはネットが何時でも使えた時代だったので学習する事自体はさほど難しくなかった。
常に自問しましょう。貴方はこんなナイフですか...?
それとも
この様なナイフ?
新たに仕事探しをしている間、ジョブドラゴンというリクルートサイトを見つけた。そこで僕が探していた分野の仕事を選び、履歴書を投稿した。そしてそのジョブドラゴンのボスであるマークさんから会って話がしたいとの電話があった。いざ、そのミーティングに行ってみると、マークが僕のウェブサイトをプリントアウトしたものを持っていたことに僕は驚かされた。「これは本当に君がやったの?」と、マークはデザインのことを聞いていた。上のスクリーンショットが、そのマークがプリントアウトしていた物。すごく恥ずかしかった!
青い物体は全部3D Maxで作られたもので、レイアウトはDreamweaverで作りました。マークとの出会いのきっかけで、オンラインプロフィールを持つことがいかに重要なことかを学んだ。この時から、僕のオンラインプロフィールは僕がキャリアを積み上げていく上で不可欠な存在で、皆さんにも自分のオンラインプロフィールを作成することを強くオススメする。それがただのLinkedinのアカウントだとしてもだ。
他人があなたの能力を見抜いてくれることは先ず無いと考えた方がいい。自身の能力をアピールしないと言うことは、ある日突然「君みたいな能力を持った人材が欲しかったのだよ!」と誰かが尋ねてくるのを期待しているのとほぼ同義だ。はっきり言ってこういうスタンスではチャンスが巡って来る事はないだろう。
ジョブドラゴンのCTOのニックさんが登場し彼らの元で働く可能性をお互いに探った。携帯サイトがあればジョブドラゴンのサービスを利用するユーザー増えるだろうと提案した。
1999年から2001年まで、妻と僕はお金を節約するため携帯を持たないことにしましたが、ジョブドラゴンの携帯サイトを作るために携帯を買わないといけなかった。しかしこれはジョブドラゴンに言われたことではなく、自分は携帯サイトが作れるという証拠を見せたかった。これは同時に作った僕のサイトの携帯版だった。
ニックさんは僕が作ったジョブドラゴンの携帯サイトを気に入ってくれたようだが、更なるテストを行うまでは納得しなかった。彼は僕にHTMLとDreamweaverでのテストをするサイトのリンクを送ってきた。どちらのテストも通過し、その後僕はジョブドラゴンのコンテンツプロデューサーとして正式に採用された。
これは僕がJob DragonのオフィスでデザインとASPに悪戦苦闘していた写真だ ^^;
この写真は表参道にあるジョブドラゴンのオフィスの僕の机で撮られたものだ。
ジョブドラゴンに入社して大体3ヶ月後、会社運営が厳しくなり、僕とその他数人を解雇しなければならなくなった。初めての解雇経験だった。ボスのマークさんはそのニュースを伝えるために僕を含めた3人を部屋に呼んだ。マークさんが泣きはじめ、僕もとてもショックを受けた。結果、ジョブドラゴンで働き出して2,3ヵ月後に解雇されるためだけに僕はネイチャージャパンでの安定した仕事を手放したことになる。
でも、人生において起こる全ての事には理由がある。全ての出来事は、その人が人世という度の旅の中で集めていくジグソーパズルのピースだ。
ジョブドラゴンはレクルート会社だったので、業界でたくさんコネクションがあり、僕らをそのままほったらかしにするようなことはしなかった。
僕の履歴書はイーベイジャパン(ebay)やアマゾンジャパン(amazon)などの会社に送られた。たくさん面接を受けたら4つ同時にオファーが来てしまった^^; アマゾンの渋谷オフィスで何度か面接を受け、電話でシアトル本社のいろいろなプログラムマネジャーと話をした。面接を繰り返した結果、上司のアンさん(Anne)が僕がふさわしい人物かどうかを確認するために日本へやってきた。
これがその面接で尋ねられた質問だ。あなたならどう答えるだろう。正解不正解アリで、技術的なことは答えなくても良い。面接を受けている最中であるというだけで、他の人が期待するような答え方はしない。どう答えるだろう?
あなたは現在あるサイトの機能拡張に取り組んでいます。あなたのスタッフは全員それに取り組んでいます。あるビジネスオーナーが(それはマーケティングだったとします)数百万円の売り上げにつながる数千のユーザーの増加を期待できるようなウェブサイトの機能を至急立ち上げるようにあなたに伝えます。あなたはどうしますか?
そのとき以来、僕がアマゾンで面接した人たち全てに同じ質問を使うようになった ^^;
イーベイとアマゾンが僕の採用を決定した後、僕のリクルーターはその両社に物に入札するような競争をさせた。リクルーターが僕年俸のおよそ30%の手数料をもらうことになるので、なるべく多く出してもらうことにした。最終的にはイーベイがより良い条件を示してきたが、僕はアマゾンを選ぶことにした。オークションよりはe-コマースのほうに馴染みがあったからだ。
ジョブドラゴンは僕を雇って、解雇して、新しい場所を用意してくれた。彼らが僕をアマゾンに紹介した上で得たその30%は僕がジョブドラゴンで働いていた3ヶ月の給料より多かった。
結果的にはアマゾンで働くことが正しい選択肢だった。一つの理由はEbayジャパンが破綻し、日本から撤退した事。僕はEbayの人事部の人と連絡を取っていて撤退時の時には彼女の部下を雇う要望を受け、内二人を雇う事が出来た。
採用はあっという間に済み、気付いたら研修の為にシアトルとイギリスへと飛行機で向かっていた。アメリカに滞在するのは初めてで、9/11同時多発テロをホテルのテレビで見たと時は目を疑った。
アマゾンジャパンに入社後ウェブ開発チームの人達と撮った写真だ。
ジョブドラゴンのレクルート担当ラスティーさんが僕に「お前はアマゾンのウェブサイトマネジャーになってもらうぞ」と言われた時は、あんまりにも大きい仕事だったので、ラスティーのことだったから、彼の言ったこと信じなかった^^;
ネイチャージャパンを去って数ヶ月後、僕はアマゾンのマネジメントチームのメンバーとなり、アマゾンジャパンのトップであるジャスパー・チェンと共に会社を運営していた。僕はウェブサイトプロダクションを全面的に担当することになり、僕を手伝ってくれる30人のすばらしい部下達を持っていた。
2,3ヶ月前は安全地帯にいた僕だが、世界でも最大のウェブサイトの一つを任され、アマゾンのたくさんの株ももらって、 気がついたらネイチャージャパンでの給料の3倍を稼いでいる自分がいた。
その新たな環境は大きな挑戦だった。アマゾンの技術は驚くべきもので、僕は完全に疎外感を感じていた。僕は人を管理することに向いていると分かるようになり、ベンダーマネージメント、バイヤー、マーチャンダイジング、ファイナンス、リーガル、リテール、マーケティング、ウェブサービス、広報、人事、サプライチェーン / オペレーション、ITなど、たくさんの部門と共に仕事をしていく上で新しい日本の言葉を学び始めた。
僕がアマゾン時代で撮った写真はこの記事で見られます。
ネイチャーでは確かに国際的な環境で働いていたが、アマゾン程の規模ではなく、アマゾンでは四半期ごとにイギリス、フランス、ドイツやアメリカに出張して他のウェブサイトマネージャーとウェブサイト計画のプロセスについて話し合ったりした。社内政治という社会経験もできた。マネージメントチームでは最年少だったのでよく他のメンバーから人材管理能力を問われた。マネージメントチームの数人は自分のマネージャーとしての能力を試すために僕の部下を人事と面談させられた事もあった。
結局、人材管理能力には問題が無いとされ僕は引き続き一生賢明プロジェクトをスケジュールする等して、部下が6時までに退社できるよう頑張った。マネージメントチームの中には部下を深夜まで引き止めていたメンバーもいたようだが。ウェブプロダクションにおける離職率は組織内では最も低く、士気は最も高かった。関わったプロジェクトは全て納期通りに仕様に沿ったものを世に出した。
アマゾンのオフィスからの景色は最高だった。六本木ヒルズが一から作られていく様子をここから眺めていたのも良く覚えている。キャリアの次のステップや人生で何を成し遂げたいかをよくこの風景を見ながらで考えていた。
アマゾンのオフィスから撮ったもう一枚の写真。この記事では少し触れていますが、僕は2002〜2005年の間に何をしていたのか、サラリーマン生活を捨て、起業したきっかけなどを記事にしてアップしますね。
何はともあれキャリアを築きたいと思っているのであれば以下を忘れない事。
以上!